大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

大阪地方裁判所 昭和55年(ワ)5434号 判決

原告

西森貴志

法定代理人父兼原告

西森壽夫

法定代理人母兼原告

西森年子

右三名訴訟代理人

的場悠紀

外五名

被告

清和病院こと

大田尚司

右訴訟代理人

前川信夫

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実《省略》

理由

一本件診療及び出産処置経緯について

1  原告貴志は、父原告壽夫及び母原告年子の間に第二子として出生したこと、原告年子は原告貴志を懐妊してから被告の診察を受け、その際、原告年子から被告に対し陣痛が起こらず第一子出産の時は帝王切開術をした旨説明したこと、被告は原告貴志が巨大児である可能性は予想し得たこと、現に同原告は出産時四七五〇グラムある巨大児であつたこと、被告は帝王切開術を原告年子に施さず、自然(経腟)分娩を行いその際吸引器を使用したこと、原告貴志が出産後、右上肢の麻痺症状を呈していたこと、及び被告がシーネ固定をしたこと等の各事実は当事者間に争いがない。

2  〈証拠〉によれば、次の事実が認められる。

(一)  清和病院は、訴外医療法人みのり会が経営する産婦人科及び小児科を診療科目とする医院であり、被告は昭和四五年一二月から同病院長として産婦人科を担当し、浅井健一郎医師が産婦人科を、多屋嘉之医師が産婦人科、小児科を担当し、他に看護婦約二〇名(うち助産婦三名)、非常勤医師三、四名が勤務しており、事実上、産婦人科専門の病院である。

(二)  原告年子(昭和一七年一二月九日生)は、昭和四五年六月一五日、第一子長女祥子を出産したが、出産直前妊娠中毒症の診断を受け、且つ同原告の子宮がかたく、同年六月六日の予定日を過ぎても陣痛が起こらなかつたため、結局、帝王切開術により分娩がなされた。なお、長女の出産時の体重は三五〇〇グラム、頭囲33.5センチメートル、胸囲34.5センチメートルで母子とも特に異常はなかつた。

(三)  原告年子は、昭和四九年四月二三日、無月経を訴えて清和病院に来院し、浅井医師の診断を受け、同医師の間診に対し、最終月経は同年二月二五日から同月二八日であること、第一子を前記の如く帝王切開術で分娩した外、自然流産歴が一回あること、昭和四八年夏から糖尿病に罹患したが、訴外井上内科で診療を受け現に投薬を受け服用しているため、来院直前の同内科での検査では正常範囲であることを説明したので、同医師は尿検査をなしたところ、尿糖、尿蛋白が認められたので、妊娠腎と診断した。なお、右最終月経から原告年子の分娩予定日は同年一二月二日と判定された。

(四)  昭和四九年五月一〇日、原告年子が定期検診のため来院したので、同日以降、被告が検診を担当し、原告年子から前同様の説明を受けたので、被告は糖尿病について引き続き内科医の診療を受け指導受けるよう指示するとともに、被告においても尿蛋白と尿糖の検査の外、白血球、赤血球、ヘマトクリット、血色素ザーリ法、血液型、梅毒反応など所定の検査を実施していたが、軽度の妊娠中毒症の外は全般に特別異常は認められなかつた。ところが同年一一月七日子宮底が少し上がり巨大児であることが予想され、さらに同月二〇日の検診時、児頭が下降し骨盤入口に入つていたので、被告は児が巨大児である場合を想定し右原告を入院させて妊娠腎の治療を行なうとともに経腟分娩によるか帝王切開術によるかを検査を通じて確定し、前者による場合は予定日である同年一二月二日より数日早く出産させるため人工的に分娩を促進させるのが相当と判断して入院を指示し、同年一一月二一日に原告年子を入院させた。

(五)  右入院当日、肝機能、腎機能、血液等の諸検査を実施し、翌二二日貧血や妊娠腎に対する投薬処理をし、心電図をとつた上で、二三日には同原告の骨盤部の三方向エックス線を撮り、その結果、被告は児頭が骨盤口を通過するのが可能であると判断し、経腟分娩の方法を採用することを決定した。そして同日、子宮口を拡げる目的でラミナリヤ稈を挿入し、翌二四日も同処置を継続したところ、二五日に子宮口が二横指開大したので陣痛促進剤アトニンOを混入した点滴を開始した上、子宮口軟化剤を投与し、二六日に陣痛促進のためフジー二本を挿入した結果、ようやく同日陣痛が始まつた。

(六)  二七日、さらに右原告の陣痛が強くなつたので、被告は再度陣痛促進剤混入の点滴を実施し、子宮口軟化剤を投与したことにより、同日子宮口全開大となつたので、被告を含む医師三名及び助産婦が分娩態勢に入つた。ところが原告年子の陣痛が微弱で児頭が腟外に容易に出ないので、被告は会陰側切開の上児頭頂部に吸引器を装着して陣痛発来ごとに二回誘導のため吸引したところ、回旋異常もなく頭部は娩出したが右肩部分が出なかつた。そこで被告の指示により右吸引をやめ助産婦が児頭を手で引つ張り、他の医師が助産婦と呼吸を合わせて右原告の子宮を上方から圧迫して原告貴志を引き出したが、頭部娩出から全身娩出まで約二分を要した。なおその際、被告らは帝王切開術をする用意もしていた。

(七)  原告貴志は出産時、四七五〇グラムの巨大児で、その予後はアプガールハ、ニマイナスであり、手足の色が変つてチアノーゼ症状を呈し、且つ手がだらつとして特に右手が動きにくい状態であつたので、被告は即時、原告貴志を保育器に入れ酸素投与をして観察を続けた。しかし二八日の原告貴志の状態は、指の握る力はあるが、右上腕骨を挙上する力が弱くこれが容易に回復しないので、被告は分娩麻痺症状と判断し、以後は整形外科治療に回すことを決めた。その後、原告貴志は原告ら主張の如く分娩麻痺による右上腕神経叢麻痺ということで整形外科病院で治療を受けたが、全治せず、現在、身体障害程度等級第三級に該当する後遺症、すなわち右肩前挙九〇度、側挙九〇度、後挙三〇度、右肘屈曲九〇度、伸展二〇度、右手指屈曲、伸展不充分、筋力二程度の症状が残つている。

二被告の不法行為責任の成否について

1 まず、原告らは、被告が本件分娩に際し、帝王切開術をとらず自然(経腟)分娩を強行したのは、分娩方法の選択を誤つたものと主張するので判断するに、〈証拠〉に当裁判所に顕著な事実を総合すると、分娩には正常分娩と異常分娩があり、異常分娩の際には子宮壁を切開して胎児等を摘出する帝王切開術による方法と経腟分娩による吸収分娩又は鉗子分娩の方法がとられるところ、右いずれの方法を選択するかは当該主治医の知識、経験、技能に基づく臨機応変の裁量に委ねられているところであつて、前回母体が帝王切開したとか、胎児が巨大児(一般に出産時四〇〇〇グラム以上と考えられている)であるとかが直ちに帝王切開術を採用すべき理由とならないことが明らかである。もつとも、右医師の裁量もその当時の医学常識から極端に逸脱している場合には当然違法の評価を受けるものであり、例えば、胎児が骨盤位(いわゆる逆児)であり、しかも子宮口が全開大しない場合などは帝王切開術をすべき場合の適例であり、右の場合に医師が右医学常識に反して適切に帝王切開術を採らないことは違法であろう。ところで分娩異常は母体と胎児双方に考えら判旨れるところ、本件では胎児に対する侵害が問題とされているから、まず右の点に限定して判断するに、前記認定事実によれば、被告は原告貴志が巨大児であることを予測し、分娩を促進させるため入院措置をとり、レントゲン撮影により児頭が骨盤口を通過することが可能であると判断して経腟分娩の方法を採ることを決定し、以後陣痛を促進する措置を講じたことにより子宮口は全開大となり、児頭頂部が出たのでこれに吸引器を装着して吸引したところ、児頭が回旋異常もなく腟から娩出したというのであるから、被告の右判断及び措置は医学常識にむしろ沿つたものであり、経腟分娩の方法を採用したこと自体に選択の誤りを認めることはできない。もつとも原告らは巨大児の場合児頭が出るからといつて肩部が出るとは限らないのが医学常識である旨主張する。確かに一般に胎児の頭囲より胸囲がやゝ大きく、原告貴志の場合も頭囲三六センチメートルに対し胸囲が36.5センチメートルであることは弁論の全趣旨により明らかであるが、胎児の分娩時の姿勢なども併せ考察すれば、肩部を含めてもその差は大きくないことが推認され、被告本人尋問の結果によれば、右の関係は、正常児、巨大児とも共通であつて、通常は頭部が骨盤を通過する場合、体部も通過するものであり、巨大児の場合に限つて必ずしもその例外ではないことが認められ、さらに巨大児といつてもその大きさ、体形等に種々の差があり、一概に論ずることはできず、本件の場合、原告貴志が極端に大きい異常な巨大児というわけでもないから、被告が本件の如く右肩部分が出ないことを予測できなかつたとしてもやむを得ないものというべく、その他前記認定の諸事実を総合すれば、被告に右の点について注意義務違反はないものというべきである。なお、原告らは、原告年子の帝王切開歴等をその主張の根拠とするが、右は原告貴志に対する侵害とは直接関係がない事情であり、今回、帝王切開術を採らず経腟分娩をなしたことによつて原告年子に子宮破裂等の侵害が生じた形跡はないから、母体に対する関係でも帝王切開術を採らなかつたことは非難されるべきことではなく、むしろ、原告年子の病歴を考慮すると、帝王切開術は同女にとつて危険な侵襲になつたことも予想される。

2  次に、原告らは、被告に吸引分娩の過程において過失がある旨主張するので判断するに、前記認定事実に被告本人尋問の結果によれば、助産婦が原告貴志の頭部を手で引つぱつた際に同原告の右首又は肩部になんらかの無理な力が加わり、このことが本件分娩麻痺の一因となつていることを全く否定することはできない。しかし同被告本人尋問の結果によれば、右肩部分が腟外に出ないことは予期することができなかつた事態であり、しかも事態は急を要し、そのまま五分も経てば胎児は脳性麻痺を起こし、さらには窒息死するに至つたであろうことが認められるから、被告らの右措置は緊急避難的所為としてやむを得ない措置であつたものと認めざるを得ず、右をもつて過失と認めることはできない。

3  さらに、原告らは、シーネ固定措置につき過失があつた旨主張するが、具体的にどのような注意義務違反があるかについて主張自体明らかではなく、且つ本件証拠上、右過失を肯認させるべき事実を認めることはできない。

4  以上の次第で、原告らの主張はいずれも採用することができないから、原告らの不法行為に基づく本訴請求は理由がない。

三被告の債務不履行責任の成否について

判旨1 前記一の認定事実の下では、原告年子と被告との間で妊娠中の診療及び出産処置を目的とする準委任あるいは請負の要素を含む無名契約としての医療契約が締結されていたというべきである。

なお、原告は帝王切開術を行う旨の治療請負契約が成立したかのごとき主張をし、確かに原告本人西森年子の尋問の結果によれば原告年子は被告に対し帝王切開術をしてほしい旨申入れた事実が認められ、右事実に反する証拠はないけれども、反面、同尋問の結果によると右申入れに対し被告が正常に生ませてやると言つたので原告は被告に委した旨の供述があり、その申込み自体維持されたのか疑問であるばかりか、そもそも医療行為については、医師の高度な専門的・技術的判断を要することから、医学界の一般的水準の範囲内での医師の自由裁量の余地を認めるべきであり、原則的に医療行為の選択は患者からする指定になじまない性質のものであるので(医師の裁量権の逸脱は問題になるとしても)、原告の右主張は採用しがたい。

2 そこで、被告は前記医療契約に基づいて原告年子に対し債務の本旨に従いその履行をなす義務があるところ、原告らは前記二記載の如く、被告に注意義務違反があり、債権の本旨に従つた履行がなされていない旨主張するが、前記二記載と同様の理由でいずれもこれを採用することができない。かえつて前記乙第三、四号証によれば、糖尿病婦人の手術の場合、ストレスとしての手術や麻酔の侵襲、食事制限及び術後感染が重なり合い糖代謝に影響を及ぼし、糖尿病性ケトアシドーシス、低血糖ショツク及び感染症などの合併症を起こすおそれが高いこと、糖尿病母体から巨大児が生まれる可能性が多く、糖尿病産児には妊娠中から食事及び薬物療法が大切で、巨大児分娩が予想される時は娩出時期の決定が重要であり、分娩予定日まで待たず、その一週間前に入院させ、糖尿病を調整しながら分娩誘導にもつていくことを推奨し急いで帝王切開しないほうがよいとの学説があることが認められるところ、被告のなした前記診療、出産処置はむしろ右に適合していることが認められるのであり、いずれにしても、被告には債務不履行はないものというべきである。

3 よつて、原告らの債務不履行に基づく本訴請求も、理由がない。〈以下、省略〉

(久末洋三 塩月秀平 楠眞佐雄)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例